土木検定(No.25掲載)
愛知県土木検定 テーマ「愛知の土木遺産」
土木遺産とは明治時代から昭和の初期につくられた土木構造物で、歴史的に文化財として保存されている物もあれば、いまだに現役で利用されている物もあります。それでは愛知県土木検定スタートです。
〜正解と解説〜
解説
愛知県内でこれまで(2017年4月時点)で認定された土木学会選奨土木遺産は、
・木曽川ケレップ水制群(愛知県立田村)(2000年度認定)
・稲生港石積防波堤(愛知県蒲郡市)(2005年度認定)
・明治用水旧頭首工(愛知県豊田市)(2007年度認定)
・岩井橋(愛知県名古屋市)(2007年度認定)
・百々貯木場(愛知県豊田市)(2008年度認定)
・松重閘門(愛知県名古屋市中川区)(2010年度認定)
・名古屋市旧第一ポンプ所と東山給水塔(愛知県名古屋市)(2011年度認定)
・長篠発電所の堰堤と取水路(愛知県新城市横川)(2012年度認定)
・旧稲葉地配水塔(愛知県名古屋市中村区)(2014年度認定)
・庄内用水元杁樋門(愛知県名古屋市守山区)(2015年度認定)
・向野橋(愛知県名古屋市中村区、中川区)(2016年度認定)
・名古屋港跳上橋(愛知県名古屋市港区)(2016年度認定)
の合計12箇所である。
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解説
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松重閘門は、中川運河と堀川を結ぶ通船路閘門として、昭和5年に建設されたが、水運の衰退から昭和51年から閘門としての経済的生命を終えました。
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A |
立田輪中悪水樋門は、用排水管理の目的で立田輪中悪水普通水利組合が、明治三十年代から四十年代に完成させたもので、少なくとも第二次世界大戦の頃までは正常に機能していたが、現在は、立田輪中人造堰樋門(町指定文化財)の他二門のみが形を残しており、輪中公園の中で保存されています。
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B |
名古屋市旧第一ポンプ所と東山給水塔は、昭和5年、千種区覚王山一帯の配水施設として、東山配水場内に建設されたが、現在災害対策要の給水施設として使用されています(用途が配水施設→給水施設に変更されている)。
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C |
岩津取水堰堤は、練積コンクリート堰堤(全面溢流式)で明治30年代の発電用堰堤(栃木の外山原と並び現存・現役最古で保存状態が良い)。本来の目的で現在稼働している施設です。
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解説
旧稲葉地配水塔は、昭和12年に設置され、大治浄水場の整備により昭和19年には配水塔としての役目を終えました。昭和40年からは中村図書館として利用されていましたが、平成3年に図書館も移転。
その後、平成7年から「演劇その他の舞台芸術の練習の場としてのリハーサル室・練習室」としての運用を開始しました。中村区稲葉地公園内にあり、演劇を始め音楽、舞踊など様々なジャンルの稽古に利用されています。
「アクテノン」の通称で呼ばれています。
旧稲葉地配水塔(アクテノン)
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解説
東山給水塔は、昭和5年に建設され昭和48年まで43年間、千種区覚王山一帯の高台に給水するための配水塔として利用されていました。昭和54年からは災害対応用の応急給水施設に改造し再利用されています。
建設当時、塔の最上部は現在と異なり円筒型でしたが、昭和58年5月に展望スペースを設けたことから、現在の形となっております。
塔の最上部にある貯水タンクには、地震等の災害時に備えて、常に300m³の新しい水が蓄えられており、1人1日3Lとすると約10万人分の飲料水を確保できます。
(参考:名古屋市上下水道局HP)
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東山給水塔 |
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解説
長篠水力発電所は、「長篠の戦い」で有名な古戦場から豊川沿いに北上し、清流寒狭川添いにある電力用の施設です。数々の奇岩や、緑に囲まれた風光明媚な渓谷にあります。
導水路施設である「長篠発電所の堰堤と取水路」は、公益財団法人土木学会から「明治時代に建設された水力発電施設の導水路部であり、天然石と人造石による取水路から余水が連続的に流れ落ちる特徴ある姿が遺っており、歴史的土木施設として高い価値がある」と評価され、平成24年10月25日に土木学会推奨土木遺産として認定されました。
大分県竹田市白水堰堤、秋田県秋田市藤倉ダムとともに日本三大美堰堤とも言われています。
明治45年(1912年)に運転を開始した、小出力ながら今なお現役の水力発電所(中部電力施設)です。最大出力130KWで、一般家庭約1,700戸分の電力を供給しています。
純国産の自然エネルギーを人知れず生み出している古く美しい施設で、上流にある布里発電所(大正8年運転開始)や、横川発電所(大正11年運転開始)もあわせて訪ねてみるのもいいですね。
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長篠発電所導水施設 |
土木遺産の案内看板 |
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解説
水田に適さず不毛の地といわれた愛知県西三河地方の洪積台地である碧海(へきかい)台地は、矢作川から取水した用水によって美田に生まれ変わりました。この明治用水は、安城市を中心に西三河地方の8市を潤し、工業用水にも利用される、わが国有数の農業用水です。河川から用水を水路に引き入れるための施設を総称して頭首工といいますが、明治用水旧頭首工は1901(明治34)年に服部長七が請け負い、1909(明治42)年に完成しました。
日本の伝統的な左官技法である「たたき」は、まさ土と消石灰に水を加えてよく練り、突き固め、たたき締めて積みあげていくものです。その表面を自然石で張り石構造にして強度を高め、土木構造物に応用したのが「人造石」です。人造石は、時間が経つと炭酸ガスを吸収して元の石灰石のように硬くなる特質を有し、鉄筋コンクリート工法が普及するまでの過渡期の技術として、明治中頃から大正期にかけて、港湾の防波堤、護岸、用水路などに広く用いられました。この人造石を生み出したのが、三河国碧海郡北大浜村(現・愛知県碧南市)出身の服部長七でした。(土木学会HPより)
明治用水旧頭首工
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